足跡はさ、消えるからいいんだよ
と言っていそうだと、パンフに書いてありました。本当にいいそうだね。
演劇は残らないからこそいいんだよ、と私も思う。私が買うのは宝石やバッグみたいに残るものではなくて時間。1秒1秒消え去っていくもののためにチケットを買う。お芝居は再演されたり別の人が同じ役をやったり、公演回数だって何公演何十何百とやるものもある。けどその人のそのお芝居は一回限り。記憶には残るし何なら記録にも残せるけど、あの体験はその瞬間だけのもの。
美しいよね。
何も予備知識がなかったから、会場に入った時セットを見て震えました。確かに歌舞伎っぽいものをやるんだろうとは推測したけど、花道があってすっぽんがあって生演奏の場所もあって。あとでわかったことだけど盆もあってほとんど歌舞伎。
それもちゃんと板敷きの舞台と花道。
1幕から何かと琴線に触れて涙してたけど、この世で1番遠い場所が舞台だという台詞はあまりに痛々しかった。
舞台の上では全てが嘘、死ぬのも嘘。
お国が死んだ時、嘘にしたくて幕を引いてくれと言った猿若の言葉は野田さんの想いなんだろう。
母音で話す言葉は、最後の勘三郎さんの言葉ではないかという劇評があった。
母音だけのセリフがあんなに心にぐりぐりと何か痛いものを押し付けられる気持ちになるなんて。
猿若の書いた最初の足跡姫がとにかくよかった。0.99999999999...のある世界。
最後のシーンにつながる。
もう終わりにしていいんだよね。
あんたが最初に書いた足跡姫だよ。
無限の世界に足跡姫が有限をもたらした。
終わりがくる。
だからおしまい。
おきまりの桜満開の舞台美術が、どこかにいるかもしれない勘三郎さんや三津五郎さんに見えるんじゃないかというくらい眩しくて涙が止まらなかった。
肉体の芸術はその人の命が尽きればそこで終わりだけど、十八代続くことでその前の、そのまた前の、初代の芸術の片鱗が繋がっていくんだなぁとも感じた。
久しぶりに言葉遊びが楽しく、私が見た中で過去最高に声の調子がいいりえちゃんのお芝居。
まいっか、って思わずに見に行ってよかった。勘三郎さんの初演千秋楽の野田版研辰の討たれは今も私にとって大事な大事な作品だけど、新しい研辰も見なくちゃね。