偏食観劇屋

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和樹ファイナル

なんか知ってる。こういうの。

あの時もようやくエリオットを見ることができて、最初で最後だろうけど満たされる思いで帰ってきた次の日だった。

大阪から帰ってきて、日常が始まった今日、突然オフィシャルから和樹の降板を知らされました。

成長に伴う体の痛み。

きっと本人は最後までやりたかっただろうけど、これからのことを考えてスタッフ陣が説得したのだと思う。

第一報を仕事の合間に見た時、本当にショックでスマホ持ってトイレに駆け込みました。

泣きました。声が漏れそうなほどただ悲しかった。あと2回見れると思ってたから。後悔という言葉がぐるぐるして仕事に身が入らなかった。友達のDM見るたびに目が潤んでしまい、ちょっとだけ見た本人のツイートにもまた涙。

どんなに悔しいだろう?どんなに最後までやりたかっただろう?

でもきっと本人も周りも、そして私たちだって気付いてた。この年齢で大丈夫なのかって。賭けだったと思う。成長は人それぞれだけどこの年齢の子が奇跡的に声変わりもせず、小柄でそしてビリーをやれるだけの心技体を持っている。

こんな子が現れて、一抹の不安がよぎっても選ばないという選択肢はなかったんだろうな。

そしてスケジュールを決めた誰かでさえ、全く心配してなかったわけじゃないはず。

それでも和樹のビリーを見たかったんだと思う。和樹に日本初演のファイナル公演をやらせたかったんだと思う。

わたしたちみんなの夢。

心配はあったけど夢を見たかったんじゃないかな、みんな。

だから和樹だって自分の公演を残したまま終わりを決められなかったんじゃないかな?

まだ行ける、行きたい、最後まで!って思ったから。

大貫くんが来たイベントで、和樹は自分が周りに比べて小さくて声変わりもしてないことを気にしてたんだって言ってた。

だけどビリー役に出会って、こんな自分じゃなかったらやれなかったって思い直したんだって。それでも日々成長していくことが不安だって。

和樹のデビュー公演がまるで千秋楽みたいな完成度と成熟度で心底びっくりしたのだけど、当然のことだったんだよね。

いつ終わりが来るかわからない。それを和樹は知ってた。だから公演を重ねてなんて悠長なことは言っていられなかった。みんな最高のものを届けたい気持ちは同じだっただろうけど、和樹の切羽詰まった切実な思いは違う。

アングリーダンスでのあまりにも「今を生きる」激しさ、切なさにボッコボコにされたのは、当然のことだった。

アングリーダンスは和樹そのものだったんだもの。

9/28に言いたかった。

和樹、22公演お疲れ様。ありがとう!

和樹のビリーは誰よりも作品そのものの魅力を伝えてくれました。

今を生きる切実さを感じました。

激しく心を揺さぶられて、心地よい涙が溢れて止まりませんでした。

ビリーになってくれてありがとう。

あなたは日本人ビリーファンの誇りです。

じゃ、大千秋楽に!来るでしょ?