偏食観劇屋

色々見たい、偏ったエンタメファン

Blank 近松門左衛門空白の十年

なんだこの芝居は。

率直な感想はこの一言。

なんだこれ?

いつかあるかもしれないとは思ってたけど案外アッサリやってきた、虚無。

できる役者揃えておいて、こんなに心が全く動かされない舞台は見たことがない。え?まじで?なんで?不思議なくらいナニコレ感。

台詞に「感動した」(実際そんなセリフはない)って書いてあるだけで、全く感動が見えないし、というか芝居する意味あるのこれ?ってぐらい、芝居が全編にわたって無視されてる。としか言いようがなかった…。

あのね、ストーリーが進むところはただ説明をしてるだけ。現代の役の2人だったりが。なんの効果があるのか全くわからないリピートアフターミーする4人衆とかなんなの?意味不明。

意味不明と言えば、能舞台を模してるというのはすぐわかったのだけど、そうする意味は?どこに??全然見えない。無駄に3人とも正面向いて会話してるのとか、単に不自然にしか見えないの。左右の廊下(なんか名称があるんだろうけど知らない)に折り目正しく捌けてゆくのとか、どんな効果が?芝居が中断するだけなのだが。私の集中力もぶった切られる。何故そんなことを?

唯一何か意味があるのかな?と思ったのは、最後の方の2人の別れのシーンだったと思うのだけど、多分初めてメインの役者として江田くんが能舞台の外でお芝居をしたんだよね。あ、結界出たって思ったから。でもどんな意味があるのかわかんないままだった。

船のシーンも2人が揉めるシーンも、なんの高揚感も緊張感もなくて、素直に見てたら文ちゃんも江田くんもその他の人たちも、めっちゃ芝居が下手な集団にしか見えなくて本気で悲しかった。演出って、芝居をつけるって本当に大事なことだよね。知ってた。ビリーエリオットが嫌という程教えてくれた!

現代の2人のしつこい笑いやら邪魔でしかないし。

何にも面白くなくてどセンターで腕組みして見ちゃったよ。ほんと、ナニコレ?

良かったのが、スペイン語歌舞伎のシーンで、ここだけお芝居に気持ちがきちんと乗ってて、それがこっちから見ててちゃんと伝わって。私は最初の歌のところから感動したのだけど、その歌ってる役者や隣で座ってる役者がみんなニヤニヤ笑っちゃっててガッカリ。

笑わせるんだとしても自分たちが笑っちゃったらおしまいだろ。真面目にキッチリやって笑わせるならわかるが。

2回目のスペイン芝居翻訳劇も、とっても良かった。兄上の冷たい目線、斬りかかるところ、真剣なお芝居。でも笑える。そういうの!これよ!

次はきっと見たくないところはスルーできるから楽しめると思うけど、これは遠征する価値を感じないな…。いくら江田くんの殺陣が素晴らしいからって、さすがに交通費払ってまで行けない。そんなに裕福でもない。

ただ、トークショーで、実は大石さんが腰にさしてる扇子が、父親が最初は持っていて、亡くなった後譲り受けたという設定で腰にさしてたという告白があり、しかもそのアイデアは江田くんのものと分かり、どんな経験もしっかり自分のものにしてるなぁって嬉しくなった。

その意味では感謝してる。

立ち振る舞いもすごい人に教わったそうだし、無駄な経験ではないとわかって良かった。

で、ところで私はこの舞台のストーリーを見ていて、これは塩がどうだとか、商売がどうだとか、自由とはとかいう話ではなく、近松が以下にクガイオウライビトから浄瑠璃作家になったのかを描いてるんだよね?って思ったのだけどどうなんでしょうか?やたら芝居のシーンがあるのは、そういうことなんだと思うんだけど、それも単にそういうシーンがあるっていうだけで、お芝居として、芝居の世界に惹かれていく描写が全くないのでわからない。

本が悪いのか?

ん??どうなんだ??