偏食観劇屋

色々見たい、偏ったエンタメファン

シラノ・ド・ベルジュラック

見てきた。NTLのバージョンが好きだったから気になってたのだけど日本語大丈夫かなーと、見るかどうか迷っててチケットは取ってなかった。が、友達がなかなかよかったというので急遽。

面白かった。日本語訳もオリジナルを覚えてるわけじゃないけど上手くできてたんじゃないかな?申し訳程度ではなくちゃんと韻を踏んでてわかるくらいだったし。
小道具はあってもよかったのにとは思った。NTL版どうだったかもう覚えてないけど決闘のパントマイムはちょっと迫力にかけてしまって物足りなかった。

ちょうどwowowで、松竹のシアターライブでシラノをやってて予習がてら見たのだけど、比較するとかなりあちこちで違ってた。NTLは結末が違うとどこかで聞いて原作の和訳版を読んだのだけど、それもだいぶ前なのでちゃんと覚えてない。もう一度NTL見直して復習したい。

NTLを初めて見た時シラノのストーリーは知らなかったのだけど、めちゃくちゃ面白い!!と思った。悲恋モノなんて微塵も興味ないのに面白いなんて!とシラノに付け鼻をしないのとか、詩をラップにするのとか、衣装を現代物にするのとか、みんな良いと思ったのだけど、こうしてwowowでストレートな演出のシラノとNTLに倣ったバージョンを見比べると、wowowでやった方が好きだなーーって思ってしまった。付け鼻とか衣装とか、そういうところでなくて、ロクサーヌとクリスチャンとシラノの関係に関わる台詞や演出が。手紙には自らじゃなくて気づいて欲しい。クリスチャンにはこの恋に負けたと、わかりやすくシラノの背中を押して欲しいとか。

バルコニーの下で声だけで語るシラノも身代わりでもなんでもなくただ自分の思いを伝えてるのがすごく好きだったけど、戦場に行って繋がりが手紙のみになった時のシラノも相当に幸せだったのではないかなと感じた。肉体をクリスチャン、頭の中をシラノが作る"クリスチャン"という2人で1人の人物の、頭の中だけがロクサーヌに届くんだもの。完全に2人の世界。肉体は何もできない。そりゃ命をかけて伝令に預けてたなんて聞いたらもうロクサーヌへの愛が噴出してて敗北を感じるわ。
NTLもですが、シラノを付け鼻ナシどころか美しい役者にすることで、なんか病的に容姿を気にしてる何かを感じる仕様になってる。母親も嫌った?みたいなセリフがあったけどきっと何か幼少期に言われ(知らんけどクズな夫に瓜二つとかで嫌悪されたとかね)、ああなってしまったのかな。付け鼻の役者が自分は醜いと語るよりもなんだか悲しみが増すのは何故だろう。

あと余談ですが、シラノが自由に詩を書いたりしたいって宣言のところ、ポリコレにも反発みたいなラップになってて微妙な気分になった。そりゃ権力が言うことには従わないだろうけど、ポリコレってむしろ権力を牽制するためのものじゃない?なんか置き換えとして相応しくないというか、シラノっぽくないなと思った。